自己啓発からの脱却

こんばんは。

気がつけば、1月以上ブログを更新していませんでした。

5月最終日に、なんとか帳尻合わせのように更新しておこうと思います。

 

このブログなんだけど、更新頻度が少ない割に、結構多くの方に訪問していただけているみたいです。

その多くの方が、「いわゆる自己啓発書と病の症状」という記事を読まれている。

 

もしかすると、自己啓発書を読みながら、同じような境遇に立たされている方が、少なからずいるのかもしれないなぁ、と思ったりし始めています。

 

今まで15個の記事をあげているんだけれど、自己啓発書にハマって、自分の首を絞めていたことが詳細に書いてあるのは、次の3つの記事なので、まだ読まれていない方は、一度読んでもらえると嬉しいです。

 

いわゆる自己啓発書と病の症状 - 自己啓発依存症奮闘記

村根コネ、自己啓発家の勉強会会員になる(その1) - 自己啓発依存症奮闘記

村根コネ、自己啓発家の勉強会会員になる(その2) - 自己啓発依存症奮闘記

 

僕が自己啓発書にハマり、「自分を幸せにすること」がきっかけだったにもかかわらず、「どんどん不幸」になっていたことは、すでに書いているんだけれど、最近、その要因が少しだけどわかったような気がしている。

 

イチイチ細かいことは、上の3つの記事で書いているので、事細かな事例ではなく、構造的な原因について書いていこうと思う。

 

もし、今、自己啓発書にハマっていて、かつ苦しんでいる方は、もしかしたら思い当たることがあるかもしれませんので、以下一緒に考えていきませんか。

(あくまで「苦しんでいる方」ね。ハマっていて、人生がどんどん楽しくなっているのなら、それで良いのだと思います。)

 

自己啓発書を手に取った理由

皆さんは、何がきっかけで自己啓発書を手に取りましたか?

 

おそらく、この時点で、その先「苦しむ」のか「楽しめる」のかが分かれてくると僕は考察している。

 

理由。

誰しも「悩みを解決するため」に手に取るのだと思う。

だけど、「解決したい悩み」には、ものすごく大きく分けると2つあると思っている。

一つが、具体的な悩み。

例えば、叶えたい夢があるけれど動く勇気がない、とか、企業したものの顧客が離れている、とか、上司や同僚とうまく馴染めない、とかそういったもの。

 

もう一つが、抽象的な悩み。

なんとなく、今いる自分は本当の自分でない気がする、本当の自分を見つけたい、とか、周りが輝いている中で自分は落ちこぼれだ、なんとかして輝きたい、とか、とにかく幸せになりたい、とかそういったもの。

 

具体的な悩みについては、悩みを解決する前の時点において、悩みが解消した後のビジョンがイメージできる。

上の例で言えば、「夢を仕事にしている自分」「顧客が次々増えていく会社」「上司や同僚とフレンドリーに接する自分」は、比較的容易に想像できる。

 

片や抽象的な悩みについては、悩みが解消した後のビジョンは全くといっていいほどイメージができない。

どこまでいっても、「本当の自分って何?」「輝くって具体的にどういうこと?」「幸せって何?」といった具合にふわふわしているのだ。

 

つまり、具体的な悩みを持っている人は、ゴールが見えている。

抽象的な悩みを持っている人は、ゴールが見えていない。ただ、ここではないどこか、今の自分ではない誰か、に憧れているだけ。

 

自己啓発書は守備範囲が広いから、上のどちらであっても、解決策が書いてある(ように見える)。

でも、本当に解決して、次のステージに進めるのは、あくまで具体的な悩みを持っている人だけだと僕は考えている。

 

ちなみ、僕は抽象的な悩みを解決したくて、自己啓発書を手に取ったタイプ。

 

自己啓発書に書いてあること

まず、大前提として、自己啓発書に書いてあることは正しい、とします。

疑ってもキリがないので。

自己啓発書に書いてあることは、だいたいおんなじで、次のようなものが多い。

  • 笑顔でいれば良いことがある。
  • 常に良い言葉(ありがとう、感謝、ついてる等)を使えば、良いことがある。(逆に言えば、悪い言葉を使うと、悪いことが起こる。)
  • 目の前の人の笑顔を追求する、目の前の人に喜んでもらえるため全力を尽くすと良いことがある。

ほら、めちゃくちゃ守備範囲広いでしょ笑

 

これらを実践すると、具体的な悩みを抱えている人にとっては、ゴールに近づく出来事が起こるのであるから、悩みは少しずつ解消されてくる。

少なくとも解消されつつある、という実感が持てるため、自信がついてくる。

自信がつくと、思い切りよく行動ができるようになる。

そうすると、悩みはさらに解消される。

 

一方、抽象的な悩みを抱えている人にとっては、ゴールがどんな姿か想像もできていないので、実践したところでどの出来事が自分にとってゴールに近づくことなのか分からない。

つまり、やってもやっても、悩みは解消していない(ように見える)。

そうすると自信を失ってくる。

でも、自己啓発書の文面はとにかく優しく、少なくとも読んでいる時間は心が満たされている(ように感じる)ため、次の自己啓発書を手に取る。

実践するけれど、悩みは解消していない(ように見える。)

自信を失う。。。というループに陥る。

 

自己啓発書作家本人からのレクチャー

抽象的な悩みを解決しようと決心し、自己啓発書を手に取り(①)、実践しながら何冊も読み漁ってきた(②)読者諸兄、本当に苦しいのはここからぞ。

いくら読んでも読んでも、悩みは解決しない。

そこで、いよいよ、次のステージに登ることになる。

それは、セミナーへの参加である。

本でダメなら、作家本人からレクチャーを受けよう、ということなのである。

 

ただし、だいたいセミナーは2時間、長くて3時間程度だ。

本の内容は、セミナーにすると最低でも10時間はかかると言われているので、その作家の書籍を読み漁っている場合、セミナーで得る知識はほとんどない、といっても過言ではない。

 

だが、セミナーはただ受講するだけでは終わらない。

「懇親会」というものがあるのだ。

 

懇親会に行くと、同じ作家を愛する仲間ができるとともに、作家と直接話す機会も出てくる。

さすがに作家と直接話してアドバイスをいただくことができれば、自分の悩みなんざ解消するに違いない、と思い懇親会に足を運ぶこととなる。

 

だけど、そこで待っているのは、今まで以上の地獄である。

作家は、懇親会で話す客を選んでいる。

これは、僕の経験上間違いない。

 

どんな客を選ぶかというと、

・勢いがある人

・場を盛り上げている人

・(作家が男性の場合)可愛い子

といったような客である。

 

可愛い子を選ぶ理由は言わずもがなだけれど、その他には共通点がある。

それは「具体的な悩みを持っていそうな人」である。

 

前述したような勢いがある人や、場を盛り上げるのが上手な人というのは、独立している方や、大きな夢・目標を持っている会社員に多い傾向があると僕は見ている。

 

そんなイケイケの人がなぜ、こんなセミナーに来ているのか?

 

それは、彼ら彼女らも、何らかの悩みを抱えているからだ。

そして、その悩みは往々にして、具体的である。

 

だから、作家先生も話がしたくなる。

なぜなら、具体的な悩みには、解決策が出しやすいからだ。

 

「北海道に行きたいです」と言われたら、行き方を教えるのは容易だ。

だけど「どこかとても美して、癒される、喧騒のない場所に行きたいです」と言われたら、答えるのはめんどくさい。

 

同じように作家先生は、抽象的な悩みを持っていそうな人間の近くには、あまり寄ってこない。

(なぜか、見た目の雰囲気やオーラでわかるんだよね)

 

もし、万が一抽象的な悩みを持っている人間の近くに行ったとして、

「僕、幸せになりたいんです。どうしたら良いですか。」って聞いたら、

そりゃ出てくる答えは、カンタンだよね。

「笑顔でいなさい。いい言葉を使いなさい。目の前の人を大切にしなさい。」

こういう、当たり障りのないことしか言えないもん。

 

一方、具体的な悩みの人間には、具体的な解決策を提示するから、次に会った時には、彼ら彼女らは、悩みを解消していることが多い。

そうすると、

「あれ?同じタイミングで先生に相談したはずなのに、彼ら彼女らだけ成功している。

俺ってやっぱり才能ないんだ。」って自己否定が強くなるんだよね。

 

④応援団長就任

僕は、③を経験して自己啓発の世界から足を洗おうと決めたんだけど、懇親会で出会った人の中にはその先のステージに上がっている人がいた。

僕個人の体験談ではないので詳細はわからないけれど、紹介程度に触れておく。

③で、同じ受講生であるにもかかわらず差をつけられた、抽象的悩み人間が次に向かうのは、具体的悩み人間の応援団長に就任することである。

 

これはどういうことかというと、具体的な悩みを持った受講生の応援することで、自分の心の空洞を埋めようとする行為が発生するということである。

 

僕の出会った中ですごい人(もちろん抽象的悩み人間)になると、頑張って仕事をしてお金をためて、具体的悩み人間のためだけに使っていたりした。

今週は九州の美容師さん(具体的悩み人間(受講者仲間))のところでカットをし、次の週は関東の塾講師さん(具体的悩み人間(受講者仲間))のところでセミナーを受講し、次の週は関西のシンガーソングライター(具体的悩み人間(受講者仲間))のライブに行って、次の週は広島の居酒屋(具体的悩み人間(受講者仲間)がオーナー)に飲みに行って…

みたいな、生活を送っている人がいた。

 

見ていて僕はめちゃくちゃ悲しくなった。

僕も応援しないと取り残される、という不安がないわけではなかった。

だけど、きっと応援したところで、自分の悩みが解消するわけがない、ということも何となく分かっていた。

 

⑤じゃあ、どうするの?

ここまで、見て来て分かったとおり、出発点が「抽象的な悩みの解消」である限り、自己啓発書ワールドは、楽園の顔した地獄であり、結局悩みは解決しないどころか、お金もなくなるし、自己嫌悪は一層酷くなるし、ロクなことにはならない。

 

解決策は、もうわかるよね。

「具体的な悩みを持つこと」

 

でも、それって難しいよね。

どうすれば良いのか、今の僕には完全に見えていないけれど、このブログを始めて5ヶ月の間、色々と試行錯誤して分かって来たこともある。

 

次回はそのあたりのことをシェアできたらと思います。