何が楽しくて、何が苦痛なの?

こんばんは。

昨日の一人車内カラオケの影響からか、喉に不快感が残りまくっています。

今日は、一日、その影響もあって、結構しんどかったです笑

 

さて、昨日の今日なので、きちんと仕事に向かうことができた。

その中でも、今日やってみて良かったライフハックがあるので、一応記録しておこうと思う。

 

それは、以前に読んだメンタリストDaiGoさんの著書(どの本かは忘れちゃいました汗)に書いてあった「1時間ごとに作業を記録し、評価をする」というもの。

 

つまり、1時間ごとに、その時行なっている作業を記録し、その作業自体が楽しいのか?苦痛なのか?ということを洗い出す作業。

 

確かに、「仕事=つまらない」と思いがちだけれど、楽しい瞬間もある。

一方、やっぱり、すごく苦痛な時間もある。

 

それを、きちんと「見える化」しようよ、ということ。

 

 

このライフハック、今までは「めんどくさい」という感情が先に立ってしまい、どうにもチャレンジできなかったけれど、どうせ転職するんだし、きちんと客観視できた方が良いかな〜と思ってやってみた。

 

結果はこんな感じ↓

 9時:統計集計(6点)

10時:許可証印刷(3点)

11時:昨日の業務の報告書作成(7点)

12時:同上

14時:契約書作成(5点)

15時:契約書作成(4点)

16時:マスコミとの打ち合わせ(6点)

17時:財務会計に関する勉強(4点)

 

一番低かったのは、許可証印刷。

これは、厚紙に手差し印刷するんだけど、何度やってもプリンターが反応してくれなくて、程よくイライラしていたので、3点。

やっぱり、上手くいかない時は苦痛を感じるんだなぁ、と当たり前のことを再認識。

 

報告書作成とか、統計集計とか、マスコミとの打ち合わせとか、自分自身にボールがあって、ある程度フレキシブルに対応できる業務(つまり、内容にアソビがある業務)は、割と好きなんだなぁと、これは新たな発見。

 

そして、ザ公務員というような、契約書作成、財務会計などは、決まったルール通りにやるしかない(内容にアソビがない)ので、点数は低め。

 

こうやってみると、すごく分かりやすい!

 

これ、すごく良いかも。

 

仕事のどの要素が、自分の感情に影響を与えているのか知るってすごく大事かも。

今週だけでも、継続してやってみよう。

仕事を辞めるからといって手を抜くな

こんばんは。

今日は、日曜日ですが仕事でした。

 

車で片道2時間半という遠方での業務だったため、車中で大声で歌を歌っていたところ、とてつもない喉の痛みに襲われていますww

 

さて、今日感じたこと。

 

それは、「仕事を辞めるからといって、手を抜くんじゃねぇぞ」っていうこと。

 

今日の仕事は、僕一人で、ある現場を回すという内容。

 

現場の回し方などは、すべて僕に一任されていたにも関わらず、

「ま、仕事辞めるし、適当でいいか」

みたいな気持ちで、大きな枠組みだけ頭で考えて、現場に行った。

 

その結果、あまり細部まで詰めきれておらず、

「我々はどうしたら良いんですか?」

と、何度も質問され、上手く答えられなかった。

 

 

正直、舐めていた。

 

みなさん、とても良い人たちばかりで、僕を責めるようなことはなかったけれど、

きっと、迷惑だったと思う。

 

僕が適当にすれば、それを見た人たちから、僕の評価が下がるだけでなく、

「公務員」という職業そのものの評価が下がることになる。

 

仕事を辞めるからといって、公務員の評価を落とすようなことをすべきじゃない。

というか、公務員として色々と経験させてもらったから、今の僕がいるわけで。

 

感謝しかないんだよ。

 

だったら、最後まで、むしろ今まで以上に「本気で」仕事と向き合って、

「あんないい仕事するヤツが辞めてしまうなんてもったいない」

ってみんなから思ってもらいながら辞めたい。

 

それが公務員への恩返しだ。

 

 

仕事を舐めるな。

舐めている限り、どこに転職しても、同じだよ。

 

辞めると決めているからこそ、

・言いにくいことを勇気を持って言おう

・本当に地域の人のためになるように行動しよう

負の遺産は残さないように尽力しよう

・毎日を楽しもう

 

頑張らなきゃな。

ブログタイトルを変更してみた

どうも、皆さん、スーパーお久しぶりです笑

村根コネです(今思うと、なんだこの名前笑)

 

自己啓発依存に悩む30代青年の奮闘記として「自己啓発依存症奮闘記」という、だいぶヤバめなブログタイトルで、ブログをはじめたのが、2018年1月。

 

それから2018年5月までの間、計16本という少ない本数だけれども、記事を書いていました。

 

あれから、もうすでに1年半。。。

 

自己啓発書からの依存はどうなったのか?

・自分を好きになれたのか?

・本当にやりたいことは見つかったのか?

 

など、色々と回収しきれていないエピソードがあるにも関わらず、

この度ブログタイトルを変更して、再スタートを切ります!

 

そのタイトルは、

「公務員が転職に向けてウォームアップをはじめました」www

 

「なんだコレ?」

「ってか、お前、公務員だったんかい!?」

「会社とか書いてなかったか!!?」

 

とか、思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

 

いや、もっと言えば、

「そもそも人気のないブログだったし、当時の読者が今も根気強くみてくれてるわけないだろ!」

とか思っているんですが・・・。

 

新たにブログ立ち上げても良かったんですが。

 

正直、立ち上げるのがメンドくさいし、

実は、昔の記事結構気に入っていたので残しておきたいし、、、

 

ということで、ブログタイトル変更に行き着きました。

 

 

内容は、タイトル通りで、「公務員」という安定した仕事から「転職」しよう、というその過程を残しておくブログになります。

 

仕事を辞めるのは、令和3年3月。

 

あと1年半。

 

だけど、まだ決心も揺らいでいるし、現状維持バイアスが働いて、このまま公務員でいる可能性も十分にある(あるんかい笑)

 

どちらに転んだとしても、少なくとも、「転職」という行為について、本気で向き合う1年半にしたいと思って、ブログを再開しました。

 

日々の更新の中で、可能であれば、ブログ休止から今日に至るまでの変化なども書き残していくつもり。

 

結論だけ言えば、

自己啓発からは、ほぼ足を洗えています。

・自分のこと、少しだけど好きになれています。

・やりたいことは、見つからないままです。(それなのに転職って笑)

 

少なくとも、ブログを書いていた時より、はるかに成長できたと思っている。

これからの1年半、もっともっと成長していけるように。

 

そして、その記録を残しておくために、今日から頑張ります。

 

 

とりあえず、続けていくことを目標にするので、

「今日は疲れた〜」とかだけの記事もアップされる可能性が十分にあるけど、とにかくできるだけ頻繁にアップしたいと思いますので、よろしくお願いします!

自己啓発からの脱却

こんばんは。

気がつけば、1月以上ブログを更新していませんでした。

5月最終日に、なんとか帳尻合わせのように更新しておこうと思います。

 

このブログなんだけど、更新頻度が少ない割に、結構多くの方に訪問していただけているみたいです。

その多くの方が、「いわゆる自己啓発書と病の症状」という記事を読まれている。

 

もしかすると、自己啓発書を読みながら、同じような境遇に立たされている方が、少なからずいるのかもしれないなぁ、と思ったりし始めています。

 

今まで15個の記事をあげているんだけれど、自己啓発書にハマって、自分の首を絞めていたことが詳細に書いてあるのは、次の3つの記事なので、まだ読まれていない方は、一度読んでもらえると嬉しいです。

 

いわゆる自己啓発書と病の症状 - 自己啓発依存症奮闘記

村根コネ、自己啓発家の勉強会会員になる(その1) - 自己啓発依存症奮闘記

村根コネ、自己啓発家の勉強会会員になる(その2) - 自己啓発依存症奮闘記

 

僕が自己啓発書にハマり、「自分を幸せにすること」がきっかけだったにもかかわらず、「どんどん不幸」になっていたことは、すでに書いているんだけれど、最近、その要因が少しだけどわかったような気がしている。

 

イチイチ細かいことは、上の3つの記事で書いているので、事細かな事例ではなく、構造的な原因について書いていこうと思う。

 

もし、今、自己啓発書にハマっていて、かつ苦しんでいる方は、もしかしたら思い当たることがあるかもしれませんので、以下一緒に考えていきませんか。

(あくまで「苦しんでいる方」ね。ハマっていて、人生がどんどん楽しくなっているのなら、それで良いのだと思います。)

 

自己啓発書を手に取った理由

皆さんは、何がきっかけで自己啓発書を手に取りましたか?

 

おそらく、この時点で、その先「苦しむ」のか「楽しめる」のかが分かれてくると僕は考察している。

 

理由。

誰しも「悩みを解決するため」に手に取るのだと思う。

だけど、「解決したい悩み」には、ものすごく大きく分けると2つあると思っている。

一つが、具体的な悩み。

例えば、叶えたい夢があるけれど動く勇気がない、とか、企業したものの顧客が離れている、とか、上司や同僚とうまく馴染めない、とかそういったもの。

 

もう一つが、抽象的な悩み。

なんとなく、今いる自分は本当の自分でない気がする、本当の自分を見つけたい、とか、周りが輝いている中で自分は落ちこぼれだ、なんとかして輝きたい、とか、とにかく幸せになりたい、とかそういったもの。

 

具体的な悩みについては、悩みを解決する前の時点において、悩みが解消した後のビジョンがイメージできる。

上の例で言えば、「夢を仕事にしている自分」「顧客が次々増えていく会社」「上司や同僚とフレンドリーに接する自分」は、比較的容易に想像できる。

 

片や抽象的な悩みについては、悩みが解消した後のビジョンは全くといっていいほどイメージができない。

どこまでいっても、「本当の自分って何?」「輝くって具体的にどういうこと?」「幸せって何?」といった具合にふわふわしているのだ。

 

つまり、具体的な悩みを持っている人は、ゴールが見えている。

抽象的な悩みを持っている人は、ゴールが見えていない。ただ、ここではないどこか、今の自分ではない誰か、に憧れているだけ。

 

自己啓発書は守備範囲が広いから、上のどちらであっても、解決策が書いてある(ように見える)。

でも、本当に解決して、次のステージに進めるのは、あくまで具体的な悩みを持っている人だけだと僕は考えている。

 

ちなみ、僕は抽象的な悩みを解決したくて、自己啓発書を手に取ったタイプ。

 

自己啓発書に書いてあること

まず、大前提として、自己啓発書に書いてあることは正しい、とします。

疑ってもキリがないので。

自己啓発書に書いてあることは、だいたいおんなじで、次のようなものが多い。

  • 笑顔でいれば良いことがある。
  • 常に良い言葉(ありがとう、感謝、ついてる等)を使えば、良いことがある。(逆に言えば、悪い言葉を使うと、悪いことが起こる。)
  • 目の前の人の笑顔を追求する、目の前の人に喜んでもらえるため全力を尽くすと良いことがある。

ほら、めちゃくちゃ守備範囲広いでしょ笑

 

これらを実践すると、具体的な悩みを抱えている人にとっては、ゴールに近づく出来事が起こるのであるから、悩みは少しずつ解消されてくる。

少なくとも解消されつつある、という実感が持てるため、自信がついてくる。

自信がつくと、思い切りよく行動ができるようになる。

そうすると、悩みはさらに解消される。

 

一方、抽象的な悩みを抱えている人にとっては、ゴールがどんな姿か想像もできていないので、実践したところでどの出来事が自分にとってゴールに近づくことなのか分からない。

つまり、やってもやっても、悩みは解消していない(ように見える)。

そうすると自信を失ってくる。

でも、自己啓発書の文面はとにかく優しく、少なくとも読んでいる時間は心が満たされている(ように感じる)ため、次の自己啓発書を手に取る。

実践するけれど、悩みは解消していない(ように見える。)

自信を失う。。。というループに陥る。

 

自己啓発書作家本人からのレクチャー

抽象的な悩みを解決しようと決心し、自己啓発書を手に取り(①)、実践しながら何冊も読み漁ってきた(②)読者諸兄、本当に苦しいのはここからぞ。

いくら読んでも読んでも、悩みは解決しない。

そこで、いよいよ、次のステージに登ることになる。

それは、セミナーへの参加である。

本でダメなら、作家本人からレクチャーを受けよう、ということなのである。

 

ただし、だいたいセミナーは2時間、長くて3時間程度だ。

本の内容は、セミナーにすると最低でも10時間はかかると言われているので、その作家の書籍を読み漁っている場合、セミナーで得る知識はほとんどない、といっても過言ではない。

 

だが、セミナーはただ受講するだけでは終わらない。

「懇親会」というものがあるのだ。

 

懇親会に行くと、同じ作家を愛する仲間ができるとともに、作家と直接話す機会も出てくる。

さすがに作家と直接話してアドバイスをいただくことができれば、自分の悩みなんざ解消するに違いない、と思い懇親会に足を運ぶこととなる。

 

だけど、そこで待っているのは、今まで以上の地獄である。

作家は、懇親会で話す客を選んでいる。

これは、僕の経験上間違いない。

 

どんな客を選ぶかというと、

・勢いがある人

・場を盛り上げている人

・(作家が男性の場合)可愛い子

といったような客である。

 

可愛い子を選ぶ理由は言わずもがなだけれど、その他には共通点がある。

それは「具体的な悩みを持っていそうな人」である。

 

前述したような勢いがある人や、場を盛り上げるのが上手な人というのは、独立している方や、大きな夢・目標を持っている会社員に多い傾向があると僕は見ている。

 

そんなイケイケの人がなぜ、こんなセミナーに来ているのか?

 

それは、彼ら彼女らも、何らかの悩みを抱えているからだ。

そして、その悩みは往々にして、具体的である。

 

だから、作家先生も話がしたくなる。

なぜなら、具体的な悩みには、解決策が出しやすいからだ。

 

「北海道に行きたいです」と言われたら、行き方を教えるのは容易だ。

だけど「どこかとても美して、癒される、喧騒のない場所に行きたいです」と言われたら、答えるのはめんどくさい。

 

同じように作家先生は、抽象的な悩みを持っていそうな人間の近くには、あまり寄ってこない。

(なぜか、見た目の雰囲気やオーラでわかるんだよね)

 

もし、万が一抽象的な悩みを持っている人間の近くに行ったとして、

「僕、幸せになりたいんです。どうしたら良いですか。」って聞いたら、

そりゃ出てくる答えは、カンタンだよね。

「笑顔でいなさい。いい言葉を使いなさい。目の前の人を大切にしなさい。」

こういう、当たり障りのないことしか言えないもん。

 

一方、具体的な悩みの人間には、具体的な解決策を提示するから、次に会った時には、彼ら彼女らは、悩みを解消していることが多い。

そうすると、

「あれ?同じタイミングで先生に相談したはずなのに、彼ら彼女らだけ成功している。

俺ってやっぱり才能ないんだ。」って自己否定が強くなるんだよね。

 

④応援団長就任

僕は、③を経験して自己啓発の世界から足を洗おうと決めたんだけど、懇親会で出会った人の中にはその先のステージに上がっている人がいた。

僕個人の体験談ではないので詳細はわからないけれど、紹介程度に触れておく。

③で、同じ受講生であるにもかかわらず差をつけられた、抽象的悩み人間が次に向かうのは、具体的悩み人間の応援団長に就任することである。

 

これはどういうことかというと、具体的な悩みを持った受講生の応援することで、自分の心の空洞を埋めようとする行為が発生するということである。

 

僕の出会った中ですごい人(もちろん抽象的悩み人間)になると、頑張って仕事をしてお金をためて、具体的悩み人間のためだけに使っていたりした。

今週は九州の美容師さん(具体的悩み人間(受講者仲間))のところでカットをし、次の週は関東の塾講師さん(具体的悩み人間(受講者仲間))のところでセミナーを受講し、次の週は関西のシンガーソングライター(具体的悩み人間(受講者仲間))のライブに行って、次の週は広島の居酒屋(具体的悩み人間(受講者仲間)がオーナー)に飲みに行って…

みたいな、生活を送っている人がいた。

 

見ていて僕はめちゃくちゃ悲しくなった。

僕も応援しないと取り残される、という不安がないわけではなかった。

だけど、きっと応援したところで、自分の悩みが解消するわけがない、ということも何となく分かっていた。

 

⑤じゃあ、どうするの?

ここまで、見て来て分かったとおり、出発点が「抽象的な悩みの解消」である限り、自己啓発書ワールドは、楽園の顔した地獄であり、結局悩みは解決しないどころか、お金もなくなるし、自己嫌悪は一層酷くなるし、ロクなことにはならない。

 

解決策は、もうわかるよね。

「具体的な悩みを持つこと」

 

でも、それって難しいよね。

どうすれば良いのか、今の僕には完全に見えていないけれど、このブログを始めて5ヶ月の間、色々と試行錯誤して分かって来たこともある。

 

次回はそのあたりのことをシェアできたらと思います。

 

自己中心的生活のススメ

どうも、自分の魅力について絶賛迷子中の村根コネです。

詳しくはコチラ↓↓

muranekone.hatenablog.com

 

さて、自分の魅力がわかんなくなって、自信を思いっきり失っていたので、「自分とおしゃべり」することにした。

 

Q.この前の出来事が、なぜ自分を傷つけたのか?

 

そうして、考えている中でふと気づいたことがある。

それは「俺は、なんて自己中心的なんだ」ということ。

 

傷ついた理由はカンタン。

「すごい」とか「今日はありがとうございました」とか、そういう自分への賞賛を期待していたのに、その通りにならなかったから。

 

いや、正確に言えば、何人かは「今日はありがとうございました」って言ってくださったので、『自分が望むほどの賞賛が得られなかったから』というのが正解かな。

 

自分が望む賞賛とは、

「いや〜今日の研修最高でした!!受講して、一気に理解が進みました!!」

とか

「あんなにわかりやすい講習初めてです!!遠路はるばるお越しいただいた甲斐がありましたよ〜!!」

とか、こんな感じの笑

 

 

 

・・・

 

 

 

なんて自己中心的なんだ!!

 

 

 

 

やばいでしょ、コレ笑

勝手に周りの反応のハードルを自分で設定して、ハードルをくぐり抜けられると、悲しみに暮れて、「俺の魅力って一体…」としょんぼりする。

 

こいつは、やばすぎるぜ。

 

だけどね、この気づきが、新たな考えを教えてくれた。

 

その考えとは、「自分は、いつでも自己中心的」ということ。

 

自己啓発にハマっていた時、「自己中心的でいることは、悪だ」と教わってきた。

「周りの人間のために、目の前の人のために、生きていくことが、善であり、成功への近道だ」と教わってきた。

そして、ひたすら、笑顔を追求したり、良い言葉を遣ったり、人が喜ぶことをしたり、色々とやってきた。

 

だけど、なぜだか、自分の心の穴は埋まらなかった。

どこかで、「このままじゃダメだ」ってずっと思っていた。

言いようのない「違和感」を抱えていた。

 

その正体がわかった。

 

それはいみじくも、さっき書いた自己啓発の教えにあった。

「周りの人間のために、目の前の人のために、生きていくことが、善であり、成功への近道だ」

 

つまり、裏返せば、「自分が成功するため」に「他人を喜ばせる」ということ。

「自分が幸せになるため」に「目の前の人を大切にする」ということ。

 

つまり、自己啓発をやる理由は、めちゃくちゃ自己中心的な動機である。

にも関わらず、起こすべきアクションは、自分のことではなく、他人のこと。

 

これが、違和感の正体だった。

 

自己啓発とは、他者貢献という善意の仮面を被った、超絶な自己中心的な活動だったのだ。

 

となると、僕が苦しんでいたのがひどく滑稽に思えてくる。

 

一番の根底にある思いが超絶自己中心的であるにも関わらず、

「ああ。こんなに自己中心的な行動はダメだ!!」

と自分を批判しまくっていたのだ。

 

 

違うんだよ!!

 

自己中心的で、全然OKなんだよ!!

 

だって、そもそもの動機が自己中心的なんだからさ!!

 

 

こうして考えると、自分の行動のすべは自己中心的な動機に基づくと整理できる。

 

<行動>      <本当の動機>

相手を褒める → いい人と思ってもらいたい

笑顔でいる  → 素敵な人だと思ってもらいたい

部下を怒る  → 自分のいいなりにすることで、自分が働きやすい環境を作りたい

面白いプレゼンをする → 面白かったと言ってもらいたい

人の悩みを聞く → あなたのお陰で助かったと言ってもらいたい

 

そして、これらの行動で問題なのは、自己中心的な動機の達成のためには、こちらの希望通りに相手がリアクションしなければならないということ。

 

これは、僕の研修の受講者の反応が僕の想定と違ったことで、僕の心が満たされなかったことからも明白だ。

でも、相手を思い通りにコントロールするなんて、絶対にできっこない。

 

ということは、自己中心的な動機により行動したにも関わらず、自己が満たされないということは往々にしてあるということでもある。

 

 

だったら、いっそのこと、他人に頼らなければ良い。

 

どうせ、自己啓発学ぼうが、学ぶまいが、人間は自己中心的なんだ。

いっそのこと、「自分は自己中心的だ」と割り切った方が早い。

「他人のため」とかいう、聞きごごちの良い隠れ蓑なんて、捨ててしまえ。

 

その上で、提案。

 

どうせ自己中心的に生きるのであれば、「他人のリアクションを前提」にしたようなめんどくさい行動する必要なんてない。

 

自分が「相手を褒めたい」と思ったら、褒めればいい。

「相手を怒りたい」と思えば、怒ればいい。

だけど、他人のリアクションには一切期待しない。

 

一切期待しない中で、本当にその行動がしたいのか??

 

これは、ものすごい大切な行動の指針になる。

 

相手を褒めても、相手が自分のことを好きになってくれない、もっと言えば、褒めたことによって嫌われるかもしれない。

たとえ、相手がどんなリアクションを取ろうが、そんなことは一切関係なく、相手を褒めたいのか。

 

こうやって、突き詰めると、

「あ、自分のこと好きになってくれないなら、褒めなくてもいいや」

ってなるかもしれない。

 

そうやって、自分の行動の一つ一つと向かい合い、他人のリアクション度外視で、自分自身が本当にやりたいことだけをやってみる。

 

これこそ、潔い自己中心的生活ではないかな。

 

今日、そうやって一日を過ごしてみたら、すごくラクだった。

 

 

自己中心でいいんだ。

ただ、相手に頼ることなく、自分の心は自分で満たそう。

魅力ってなんだ??

4月になって初めてのブログ笑

 

ここ最近、「やりたいことをやる」って決めて、少しずつ行動するようにしていた。

 

例えば、次のようなこと。

 

・インターネット掲示板で飲み会の誘いを投稿して、初対面の方と飲む。

・そこで知り合った方と、二人で登山に行く。

・仏教について興味があったので、本を読む。

・そしたら座禅に興味が出てきたので、時間があるときに座禅をしている。

・奥さんと一緒に子育てに関する講演会に参加する。

・人気作家さんの出版記念講演に参加して、一緒に写真を撮る。

Netflixで興味のあるドキュメンタリーを見る。

 

そして、仕事でも、一つ大きなイベントを行って、無事に成功させることができた。

マスコミも8社くらい来てくださり、地方版のテレビや新聞でも紹介された。

 

こうやって見ると、4月はただひたすら一心に走ってきた。

だから、ブログも更新できなかったってことにして笑

 

自分でも頑張ったな〜って思う。

 

 

僕は、少しだけ自分に自信を取り戻していた。

自分がなんだか魅力的になった気分でいた。

 

職場でも、無駄口を一切せずに、ただ仕事に向き合うだけの存在であった僕が、職場の同僚や上司に、気さくに話しかけたりして、良い雰囲気になってきている。

 

なんだか、少しずつ人が集まってきているような気もしていた。

 

だけど、昨日、また落ち込むことがあった。(ジェットコースターみたいなメンタル笑)

昨日は、県外で講師として研修に参加してきた。

走りに走った4月の最後のイベントと僕は位置付けていた。

だから、前日と前々日の土日は、睡眠時間を削って、研修の準備をした。

行きの電車の中でも、眠気を抑えて、最後の調整をしていた。

 

研修には、僕の会社からは、僕以外にもう一人、僕の後輩が出席することになっていた。

後輩は、受講者としての参加である。

 

頑張って準備した甲斐あって、笑いもあったり、終わったあとは「分かり易かったです」との声も、2、3人から頂いた。

 

そして、その後は懇親会があった。

 

僕は、分かりやすい講義をしたという自信があったし、受講者の皆さんと色々と話ができるんだろうな、と楽しみにしていた。

 

でも、蓋を開けて見ると、またいつもの通りだった。

最初は、皆さん「今日はありがとうございました」とお礼を言っていただけるのだが、その後の会話があまり盛り上がらない。

少しずつ時間が経つと、僕の後輩が輪の中心になって、みんなが楽しそうに笑っているのが見えた。

 

 

すげぇ嫌なこと書くこと承知なんだけど、

その後輩は特段仕事もできるわけでなく、どちらかと言えば、仕事の要領も悪い方なんだよね。

それに、社会人として言葉遣いもできていなくて、敬語がむちゃくちゃだったり、年下に対しては、初対面でもタメ口を遣ったりする。

 

でも、結果として、その後輩がみんなから好かれて、僕は距離を保たれたままだったんだ。

「仕事で頑張ったら報われる」

「仕事ができれば輝く」

そうやって頑張ってきたけれど、初対面の人からしたら、仕事のできるかできないか、なんて分からない。

よしんば分かったとしても、別にどうでもいい。

仕事のできる人と話したいわけじゃないから。

 

それより、魅力的な人と話がしたいんだから。

 

・仕事のできでもない。

・言葉遣いでもない。

・礼儀でもない。

 

一体、魅力ってなんだ??

 

わけがわかんなくなった。

 

その反動かな。

今日は、結構他人に厳しく当たってしまった。

 

今になって後悔。。

 

 

俺のキャラクターってなんだろう。

魅力ってどこだろう。

 

自己啓発で学んだ、「笑顔」とか「良い言葉」とか「相槌」とかをやって見ても、うまくいかないし、そういうの度外視で、ちょっときついことを言ったりしても、うまくいかないし。。

 

どうしたらいいんだろう?

 

分かってる。

 

きっと、こうやって自分で演じている限りは、魅力は出ないんだと思う。

「素の自分」っていうのが一番の魅力とか、そういうテンプレでまとめられるのかもしれない。

 

だけど、待ってくれ。

俺だって昔は素の自分だったんだよ。

 

でも、それじゃうまくいかなかったから自己啓発にハマったんだよ。

それでもうまくいかなかったんだよ。

 

素でも、演じた自分でもダメならどうすりゃいいんだよ。

どうやったって、魅力がない星の下に生まれちまったのか。

 

そもそも、もう自分がどんな人間なのか分かんなくなっちゃったよ。。

どんな性格で、どんなことが好きで、何が楽しいんだ??

 

やっべー

完全に迷子になったわ。

誰にも何も提供できない自分はどうしたら良い?

こんばんは。

 

いつも記事は、書きながら考えるので、自分でも「あ〜そういう感情あったんだ」って、自分で発見したりすることが多々ある。

 

そういう意味でも、こうやって、自分の中でモヤモヤしている思いを吐き出してみるということは、結局誰のためでもない、自分のためになるのだと実感中。

 

さてさて、今日はね、きっと、すごく暗い記事になると書き終わる前から予測がついている笑

 

ずっと、自分の中で押し殺していた、ある思いについて、ふと文字に残したくなったからなんだけど。

きっと、自傷行為のような記事になるんだろうな。怖いなぁ。

 

でも、このタイミングも必然なんだと思う。

 

もしかしたら、めちゃくちゃ長くなるかもしれないし、終わって見たら、うまく言葉が出てこなくて、めっちゃ短いかもしれないけれど、よろしくお願いします。

 

まず、僕のことについて、今まであまり深く書いていなかったから、前情報として必要なことについて書いおくね。

 

・一昨年の8月に入籍して、去年の5月に結婚式を挙げました。

・今、奥さんのお腹の中には、新しい命が宿っていて、あと2ヶ月でパパになります。

 

客観的に文字に起こしてみると、めっちゃハッピーな状況であるにも関わらず、そんな中ネガティブな記事を書こうとするなんて、どんなけマゾなんだ自分笑

 

さてさて…

まず、最初に書いてしまうけれど、僕は友達がめちゃくちゃ少ない。

 

昔の記事を読んでくださった方は、「僕は社会人なりたてのころ勢いがあって…」ということを書いていたから、「??」となってしまうかもしれないけど、ここは僕もずっと見て見ぬ振りをしていた大きな事実の一つだった。

 

僕は、高校受験や大学受験、就職試験、いずれの履歴書にも、自分の長所として「社交的」、「すぐに仲良くなれる」といういうようなことを書いていた記憶がある。

 

でも、実際には、高校に入った時には、中学校の時の同級生とだけ2年くらい連んでいたし、大学では友達はほとんどできず、家で一人でいることが多かった。

 

だけど、不思議なことに、社交的でコミュニケーション能力が高い、という自己評価は変わることなく持ち続けていた。

 

少し遠回りになるけれど、僕は小学校の時は、完全にクラスの中心だった。

みんなが、僕の存在に注目していて、「今度はどんな面白いことをしてくれるだろう」みたいな感じで、期待の目で見てくれていた。

 

だから、そういうような小学校の時に身につけた自己評価を変わらずに持っていたんだね。

 

高校、大学あたりは、「ちくしょ〜、話さえすることができたら、みんな俺の面白さに気づいて、すぐに中心人物になれるのにな〜」って思っていた。

 

「話すきっかけが、何故だか自分にだけ巡ってこない」って思ってたんだ。

(本当は、そうやって待っている時点で、社交的ではないんだよね。)

 

そして、そういう時に、天の恵みの如く、学年の中心人物と会話をする機会が降ってきたりする。

こういう機会は、そう滅多にあるものではないため、僕は全力でぶつかっていく。

 

「どうだ!俺、めっちゃ面白いだろ!!だから、仲間になってやってもいいぜ!」

 

そんな、気持ちを持っていた。

 

すると、「お前、めっちゃ面白いな〜!地味だし、いつも真面目な感じだから、全然知らなかったぜ〜」とかなんとか、言ってくれる人が多くいたのも事実だ。

 

「よっし!これで、学年の中心グループの仲間入り♪」

 

って心の中でガッツポーズを取るんだけれど、それっきり何もない。

そうして、またいつもの日常に戻る。

 

これを何度も繰り返していた。

 

「どうしてだろう」っていつも思っていた。

結局、僕は、大学生の最も記憶に残るイベントの一つであろう「卒業旅行」に行くことができなかった。

否、一緒に行く仲間がいなかったんだ。

 

社会人になる時に、「絶対に人生巻き返そう」って思った。

そして、運よく同じ職場では、年齢の近い先輩が多く、そして外回りが多い仕事だったこともあり、必然的に一日のうち1、2時間は車の中で話をすることができる環境だった。

 

そうすると、僕は先輩方とも仲良くなれ、そしてその勢いで、イケイケなキャラクターに復活することができた。(小学校以来!!??)

 

でも、そうなれたのは、自分の力ではなく、強制的に話をすることができる「外回り」っていう環境が揃っていたからなんだよね。

それに、今は、その先輩方とも疎遠になっていることを考えると、あの時の縁は一時的なもので、職場を離れてでも繋ぎ止めるだけの魅力が自分にはなかったってことだよね。

 

それに、僕がイケイケでいることができたのは、職場のメンバーの中だけだった。

 

僕には、同期入社の人たちが80名くらいいて、4月は2週間くらい研修を受けるシステムになっている。

だけど、ここでも僕は、一人だった。

みんながはじめましての状況からスタートするのに、2日目、3日目になると、みんな友達を作っている。

お昼ご飯を一緒に食べるようなっている。

 

僕は、それが苦痛で、お昼のチャイムがなると、いの一番で研修会場を飛び出し、公園で一人でコンビニおにぎりをほうばっていた。

 

実を言えば、前に文句を垂れ流していた、自己啓発家の勉強会でも同じようなことだった。

結局、気がつけば、一人になっている。

 

会社の飲み会だってそう。

最初は、席が決まっているから、周りの人と会話ができるけど、後半になって席移動が始まると、一人になる。

 

会社でのレクリエーションに参加して、いろいろな年代の人たちと交流を深めても、いつも僕以外のみんなが仲良くなって、僕だけ取り残されている。

 

書いていて、めちゃくちゃ悲しくなってきたけれど、本当にずっとこんな感じだった。

 

だから、余計に「一期一会。出会いを大切にしなきゃ。」って思いが強くなっていた。

そうすると、初対面の時にいかに自分の存在をアピールするか、みたいになってしまう。

「この大勢の中で、埋もれちゃダメだ。埋もれないように、何か面白いことを。。」

っていつも体ガチガチに力入れて挑んで、結局仲間できなくて、苦しんでいた。

 

どんどん、どんどん、その一回にかけるエネルギーが大きくなり、それと比例するようにから回っていた。

 

そんな僕が、本当に幸運なことに、ご縁に恵まれ、結婚することができた。

本当に奥さんには、心から感謝している。

 

そして僕は、奥さんとの結婚を機に、今まで書いたような自分の人生に気づくことになる。

ずっと、怖くて、見て見ぬ振りをしていたんだね。

おまじないのように「俺は社交的だ」って思いつづけることで、真実を見ないようにしていた。

 

だけど、それはもう無理だった。

何故なら、「結婚式」があったから。

結婚式では、友達を呼ばなきゃいけない。

それに、自己紹介プロフィール動画も上映しなきゃいけない。

 

辛かった。

逃げたかった。

 

だけど、奥さんを悲しませたくなかった。

 

すごい苦痛だったけれど、なんとか友達という友達を呼んで、式を終えることができた。

 

 

その安心感からか、僕は、またそんな自分に蓋をしはじめていた。

 

でも、今日、また出てきたんだ。

 

 

今日は、奥さんとイベントに行った。

町おこしで、若者たちが行っている食のイベントだった。

 

僕は、そのイベントの中で、死ぬほど苦しい気持ちを味わった。

 

僕よりも若い子たちが、一生懸命運営をしている姿。

そこを楽しそうに走り回る、運営の人たちの子供たち。

お客さんもみんな楽しそうで、運営の人たちと仲良く話をしていたりした。

 

 

「俺には、こんなイベントをする仲間がいない。」

「今度、生まれてくる子供を、こんなふうに誰かと遊ばせてやれるだろうか。」

「どうして、俺は、屋台の人たちに話かけることもできないんだろうか。」

 

そして、何より俺は、

「自分だけ、ここのイベントの中で浮いてしまっている。」

って思ってしまった。

 

みんなオシャレで、雰囲気があって、輝くような笑顔をしているのに、、、

 

 

なんで、なんで、なんで、

俺は、こんなに卑屈なんだろう?

 

なんで、頑張っても頑張っても、うまくいかないんだろう?

 

本当に自信がないんだ。

 

誰かと仲間になるためには、自分には「何か」が提供できなきゃいけないって、いつの頃からか思ってしまっているんだ。

 

でも、俺は受け取るだけで、何にも、誰にも提供することができない。

なんの特技もない。

 

割り切って、俺は受け取るだけの存在って思えればいいのかなぁ。

 

そもそも、そんなこといちいち考えずに、毎日楽しんでいた小学校時代は、本当に素敵だったんだな。

 

 

自己啓発書では治せなかった、俺のこの深い穴を、どうやったら埋めることができるのかなぁ。。

 

生まれてくる子供のためにも、俺はここで、本当に変わりたいんだ。

いや、絶対に変わってみせる。