いわゆる自己啓発書と病の症状

さて、2回目の投稿となる本記事では、僕が今後も使っていくであろう「自己啓発書」という書物について、それは一体どのようなものであるのかを明らかにしていく。

 

そして、僕なりに感じた自己啓発書の光と闇についても、書き残しておこうと思う。

 

1.自己啓発書とは

自己啓発書とは、一体何か??

 wikiで調べてみると次のように記載されている。

自己啓発書(じこけいはつしょ)とは、人間の能力向上や成功のための手段を説く、自己啓発を目的とした書籍。自己啓発本とも。

 主に人生について取り扱う分野であるため人生書の一種とも考えられ、人生指南書などの表現も存在する。ハウツー本(ノウハウ本)、実用書、ビジネス書なども関連ジャンルであるが、非科学的な内容の場合が多いため、心理学書などの学術書とは峻別される。』

 

 簡単に言えば、「自分自身をより良くしていくための、テクニック・知識が収載された本」のことだ。

 その中で、依存性が高いのは、いわゆる具体的なテクニック本ではなく、メンタル本だと考えている。

 テクニック本というのは、例えば、営業で成功するための話術だったり、服装だったり、声色だったりの、具体的なテクニックが記載されている本である。

 こういった本は、読むきっかけとして「営業成績を上げたい」という明確な目的があって初めて手にする本であり、読んだ次の日から行動に移しやすいし、結果も良かれ悪かれ、自分でわかりやすい傾向がある。

 一方、メンタル本というのは、例えば、笑顔でいれば人生良くなるよ、とか、人の悪口を言うと自分に返ってくるからよしなさい、とかという、痒いところに手は届かないけれど、何となく耳障りの良い言葉が羅列してある本である。(と僕が勝手に思っているだけだが。。)

 こういった本は、読むきっかけとして「人生を良くしたい」とか「何となく胸に空いた穴を塞ぎたい」とか「癒されたい」といった、非常にボンヤリとした目的で手にする本である。

 そして、読んだ次の日から行動に移したとしても、なかなか自分で笑顔だったり、言葉だったりといった日々の習慣は変え難く、そして求めている結果も「人生を良くする」といったようなボンヤリしたものであるため、成果がわかりにくい傾向がある。 

 本ブログでは、自己啓発書=メンタル本としてお付き合いいただきたい。

 

2.自己啓発書に書かれている共通のお話

 かなり乱暴自己啓発書を勝手に2つに分類してみたけれど、イメージは伝わっただろうか。

 僕は、200冊を超える自己啓発書を読んできたからこそ、大体の傾向は掴んでいるつもりである。

 ここでは、ほとんどすべてのメンタル本に記述されている共通のお話をまとめてみようと思う。

 多分、メンタル本を読んだことがある方なら、「あるある」と思っていただけること請け合いである。

  • 笑顔でいれば良いことがある。
  • 常に良い言葉(ありがとう、感謝、ついてる等)を使えば、良いことがある。(逆に言えば、悪い言葉を使うと、悪いことが起こる。)
  • 目の前の人の笑顔を追求する、目の前の人に喜んでもらえるため全力を尽くすと良いことがある。
  • 思ったこと(夢)は現実になるため、なりたい自分(夢)をイメージすることで叶う。(いわゆる、引き寄せの法則

  以上の内容が、ほとんどのメンタル本に漏れなく収載されている。

 これが、世界中の色々な著者の手を介して、脳科学、心理学(潜在意識)、量子力学(波動)、ハイヤーマインドといった言葉で、それぞれの著者ごとに肉付けされているのが現状。

 ちなみに、本当に国籍も、派閥も、専門分野も異なる様々な人が同じようなことを書いているから、きっと前述のことは真理なんだと思うし、間違っていないと思う。

 次からは、メンタル本の光と闇について考察をしていきたい。

 

3.自己啓発書の光

  僕は自己啓発書を10年間で200冊以上読んできたが、そんな自分を振り返ってみて、良かったな〜と思うことを書いていく。

(1)道徳的な人間になれる

 まずは、これ。

 前項でめちゃめちゃ簡単にメンタル本のことを書いたけれど、「笑顔でいる」とか「良い言葉を使う」とか「目の前の人を大切にする」とか、すっっっごく大切なこと。

 だから、自分自身を顧みて、「よし、少しずつやっていくぞ」と行動することで、道徳的な自分に出会えることができる。

(2)自分でも変われるかも、という期待が生まれる

 次は、これ。

 「自分ってなんてダメなんだ。。」と思っている頃に、メンタル本を読むと、「あ、自分でも変われるかも」という期待感が生まれてくる。

 なぜなら、メンタル本は才能をフューチャーしない。

 僕らは、物心ついた時から、「自分はテレビで見る人たちと比べて才能がないから…」と言い、自分への期待値を下げて生きている。

 でも、メンタル本は、笑顔で、良い言葉を使って、目の前の人を大切にすれば、良い人生になれると説く。

 だから、「才能なくても、ハッピーになれるんだ」と、自分の人生に対する期待値がぐんぐん上昇していく。 

 加えて、メンタル本には、著者自身や、著者の身近な人間の「ダメ人間→すげぇ人間」へと変化を遂げたエピソードがこれでもかというくらい収載されている。

 このことも、「こんな境遇の人でも成功できたのなら俺だって!」とハリケーンレベルの追い風も手伝って、期待値が上昇するのである。

 

 4.自己啓発書の闇

  最後に、自己啓発書の闇の部分。

 それは、光があれば闇があるのと同じで、前述した光の内容とは表裏一体である。

(1)自己否定

 自己啓発書は、間違いなく道徳的だ。

 道徳的には一寸の疑いもなく正しい。

 笑顔、良い言葉(悪口を言わない)、目の前の人を大切にする、どれもめちゃくちゃ正しい。

 だけれども、それゆえに、苦しくなる。

 まず、人間は簡単には変われない。

 仏頂面をすることもあれば、気に入らない上司や同僚の悪口を言うこともある。

 目の前で困っている人がいても見て見ぬ振りをすることもあるし、虫の居所が悪いと、つれない態度を取ってしまうこともある。

 

 そして、そんな自分が出てくるたびに、自己否定をしてしまうようになる。

 自己啓発書を読むまでは、なんとも思っていなかった自分の何気ない行動が、心の底から憎らしくなるのだ。

 

 自己啓発書をきっかけに行動を変えようと思う→うまくできない→自分を否定してしまう→自己啓発書曰く自己否定をしてはいけないと説く→何とか自分をポジティブにしようとする→うまくできない→自分を否定してしまう→無限ループとなる。

 

(2)他者否定

 自分で笑顔とかのルールが遵守できているか否かは置いておいて、自己啓発依存症者の中では、こういったルールこそが幸せに生きるためには必須項目だということを、もはや掛け算九九と同じレベルで、常識として持っている。

 だから、自分以外の他人が仏頂面だったり、他人の悪口ばかり言っているのを見たり、聞いたりすると、めちゃめちゃ腹が立つ。

 「こう言う奴が周りにいるから、俺は幸せになりようがない」とか勝手に思い込む。

 これも、自分の時と同じで、今まではなんとも思っていなかった他人の行動の一つ一つが、ものすごく鬱陶しく感じるし、腹立たしくなる。

 

 自分も出来ていないくせにね笑

 

 でも、自分で出来ていなくても、自分は少なくとも、意識して直そうとしている。

 ここの差が大きいのだと自分で自分に言い聞かせて、他人を裁くことを正当化し、常態化していく。

 こうやって、他人を裁き続けると、

  自己啓発書を読み行動に移しつつある自分=すごい

  何にも自己改善に取り組まずダラダラと日々を過ごしてる他人=しょぼい

 という謎の方程式を自分の中に持つようになる。

 

 こうなるともうヤバい。

 僕は、廊下ですれ違う会社の職員(面識のない人)を見るたびに、頭の中で勝手に見下すような発言が再生されるようになってしまった。

 これはかなりの末期症状だと思う。

 そして、自己啓発書は、思考は現実になると説く!!笑

 その結果、「人を見下す思考を持ってしまった俺は、ダメだ。。」とまた自己否定のループに入っていくのである。。(笑えない。。)

 

(3)取り残された自分

 自己啓発書内の、著者や著者の仲間のエピソードは、自分も変われるんだという期待を持たせてくれると書いた。

 だけども、10年も自己啓発書を読み続けてくると、エピソードの受け取り方に変化が出てくる。

 登場人物の年齢が、僕よりも下の人間のエピソードが収載されるようになってくるのだ。

 そのエピソードでは、「あんなにダメだったアイツも、笑顔を実践した結果、今ではリピーター続出のショップのオーナーになっている」とかなんとか、書いてあるのだ笑

 そうすると、「あれ?俺、ず〜っと、何年もトライしてるのに何も達成できていないのに…」と取り残された気持ちが芽生えてくる。

 その結果、また自己否定のループに入っていくのである。。。(笑えなすぎ)

 

(4)一人ぼっちになる

 自分で書いていて悲しくなってきたが、この際、もう開き直ってどんどん自己開示していこうと思う。

 最後は、「一人ぼっちになる」ということ。

 今まで書いてきたように、「自分自身では道徳的に生きるように心がけるとともに、他人を罰するようになる」という、世にも奇妙な状況に陥るのが自己啓発依存症の病状の特徴である。

 簡単に言えば、他人を罰するようになるのだから、人は寄り付かない。

 かといって今までの友達と会って遊んでいると、過去の面白かった話や、職場で会った体験談なんかが話題にのぼるが、そこにはどうしても誰かを嘲笑するネタが散りばめられている。

 以前の僕ならば、いの一番で、そういう話に乗っかり場を盛り上げていたのだが、自己啓発依存症を発症してからというもの「そうだね〜」くらいにしか返せなくなってしまった。

 そうすると、「あいつは変わった」とかなんとかで、友達が一人、また一人といなくなってしまった。

 

 よく、自己啓発書では、こういう従来の仲間との別れは「よくあること」として書かれている。

 そして、失った代わりに、同じように高い目標を持つ自己啓発仲間が周りにできる、というのがお決まりのパターンである。

 

 でも、僕にはできなかった。

 どんなに待てど暮らせど、できなかった。

 行動が足りないんじゃないかと、自己啓発セミナーにもたくさん参加し、隣の席の人と話をしたり、飲み会に参加したりして、頑張ってみた。

 だけど、仲間なんて出来なかった。

 

 もう、後がなくなった僕は、安くはない月会費を払うことを覚悟して、ある著名な講師の勉強会にも参加することにした。

 そして、そこでの経験を通して、僕は自己啓発書にサヨナラを言うこととなった。

 

 このエピソードは次の投稿で書いていこうと思います!

 

(5)まとめ

 ・・・ということで、自己啓発書の闇について、目から液体が零れ落ちるのを必死に我慢しながら、書いてみました。

 長々と書いてしまって、逆に分かり難かったかもしれないけれど、自己啓発書の闇は、「自分の人生を良くしようとして読み始めた結果、自分をどんどん嫌いになっていく」という、本末転倒な出来事が起こりうるということが伝えたかったのです。

 そして、嫌いな自分を少しでも良くするために、また違う自己啓発書に手を伸ばす、というループを繰り返し、依存症に陥ってしまうのです。。ガクブル…