前を向くきっかけ

こんばんは。

今日も、昨日、一昨日に続いて…と思っていたんだけど、1時間ごとの作業メモを職場に忘れて帰ってきてしまったので別のことを書きます。

 

このブログは、自己啓発にハマって、人生が好転するどころか、どんどん自己嫌悪になっていた時に、自分を変えたくて始めたのがきっかけなんだよね。

 

でも、途中でブログの更新をやめてしまって、1年半もの間、空白の時間がある。

 

その空白の期間を経て、帰ってきたら、自己啓発からある程度脱却しているし、なんか転職に向けて動き始めているし、

「本当に同じ人物か?」と疑いの眼差しを向けられる可能性もある笑

(そんなことはないか笑)

 

一体、何が自分を変えてくれたのか?

 

色々な要素があるけれど、その中の一つに「人生100年時代」という概念にぶち当たったことが挙げられる。

 

これは、「LIFE SHIFT -100年時代の人生戦略」(リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット著)という本を読んだことがきっかけで学んだ概念だ。

 

めちゃくちゃ簡単に言えば、「今、50歳未満の日本人は100歳まで生きる=100年ライフを過ごす心算が必要」ということだった。

この100年ライフというのは、適当でもなんでもなく、きちんと統計処理により導き出された数値だ。

 

今までの人生80年であれば、3ステージで生き抜くことが出来た。

それは「教育→仕事→老後」の3つだ。

 

60歳で仕事を辞めると、人生を終えるまでは残り20年。

20年であれば、退職金と年金で”逃げ切る”ことができる。

 

つまり、退職してから、世界一周したり、やりたかった趣味に没頭したりできる。

幸せな老後を過ごすために、60年間の人生があった、とも言える。

 

でも、100年時代は違う。

 

60歳で仕事を辞めると、人生を終えるまで、なんと残り40年もあるのだ。

40年もあると、退職金と年金では到底”逃げ切る”ことができない。

 

だから、結局、7〜80歳くらいまで働き続けなければならない、ということ。

 

結局、幸せに生きることができるのは、80〜100歳までの20年間。

 

何があっても、人間が幸せに生きることができる期間は「20年間」なのか。

 

でも、実際には、加齢による病気などもあるだろうし、体も今よりは自由がきかないかもしれない。

そんな中で、本当に人生を幸せに生きることができるのだろうか??

 

こんな単純な疑問が思い浮かんだ。

 

いや、自分だけの話ではない。

親の介護、子や孫の養育費など、出費は嵩む一方ではないか。

 

 

正直、絶望した。

 

未来の自分の姿がリアルに想像できたからだ。

 

 

自己啓発にハマっている時に思い描く未来の自分は、めちゃくちゃかっこよかった。

「お金持ちで、高級車を乗り回し、世界中を旅し、各国の美味しい食事を食べる。

周りには、たくさんの愛すべき仲間たちが集まり、いつも笑顔が絶えない生活をしている。

自分をリスペクトしてくれる人が、世界中に溢れ、会いたいと言ってくれる人が列をなしてまっている。」

 

こんな自分を想像していた。

 

自己啓発を続けていれば、こんな未来が訪れるのだと思い込んでいた。

ロジックは分からないし、その時どんな仕事をしているのかすら分からないけれど、こうなれるような気がしていたんだ。

 

そう。

未来の自分は、今の自分の延長線上には、いなかった。

ある日、突然、スーパーマンのような自分になれると思っていた。

 

でも、100年ライフの自分は違った。

未来の自分は、今の自分の延長線上に、それはもうリアルに居座っていた。

残念だけれど、スーパーマンのような未来よりも、はるかにリアルに想像ができたんだ。

 

そして、僕は思った。

「マジで、このままじゃヤバイ」って。

いつかスーパーマンになれる。

誰かが、変身アイテムをくれる。

って思って、ただ待っているだけだった自分。

 

でも、それじゃダメなんだってこと。

今の自分の延長線上に、未来の自分がいるのであれば、

「今」頑張るしかない。

「今」傷つくしかない。

「今」チャレンジするしかない。

 

 

人間は、何かを得るよりも、失うことの方が精神的ダメージが大きいという「プロスペクト理論」という考え方がある。

 

まさに、そうだ。

 

「未来にこういう自分になるために」じゃ、行動のきっかけとして弱いんだ。

「未来にこういう自分にならないために」が、行動のきっかけとして強いんだ。

 

それから、僕は、少しずつだけれど、色々とチャレンジをすることができるようになった。

 

それも一足飛びではなく、高さの低い階段を一段一段登るような、小さな一歩の積み重ねだったんだけれど。

 

 

どんな歩みを重ねてきたのかは、またどこかでお伝えできたらと思う。

 

今日は、前を向くきっかけのお話でした。

また明日ね。