君たちはどう生きるのか

どうも、村根コネです。

 

君たちはどう生きるか」という吉野源三郎さんの歴史的名著が、ここ最近ベストセラーになっている。

 

この本は、考え方を読者それぞれに委ね、その上で、「君はどう生きるのか?」と問いかけている。

 

そういう意味で、僕が依存してしまったメンタル本とは異なっている。

何せ、答えを自ら導き出さねばならないから。

 

僕なりに、読了して、「どう生きるのか」考えてみた。

 

まず、最初に大切にしたい言葉は次の箇所。

まず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。

君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。

そうして、どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。

(中略)

これは、むずかしい言葉でいいかえると、常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ、ということなんだ。

(中略)

学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられた通りに生きてゆこうとするならば、それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間にはなれないんだ。

 

グサリ、と刺さりますよね。

僕は、世間の目を気にして、「世間的にはこうした方が良いんだろうな」ということを基準に行動していた。

自己啓発書に影響を受けて、「○○をしなければならない」ということを、至上命題のように思って、自分を縛り付けていた。

 

だけど、そうじゃないと、言っているんだよね。

そうではなくて、自分自身と向き合い、心に浮かんだ喜怒哀楽、そう言った感情を見つめることが、人生の土台になるということ。

 

そう言われると、僕は、自分の本音を顧みることなく、見て見ぬ振りをしながら、ただ闇雲に「良い」と言われていることをやってきたように思う。

だから、自分の圧迫された心が悲鳴をあげたのかもしれない。

 

まずは、自分自身と対話をすること。

そういえば、僕の尊敬するミュージシャンであるRADWIPMSの野田洋次郎君は、ONE OK ROCKのTAKA君から、「どうしたら、洋次郎みたいに素敵な歌詞が書けるの?」と問われた時に、「もっと自分とおしゃべりしてごらん」と回答したそうな。

 

自分との対話、これを大切にしていこう。

 

 

ところで、「君たちはどう生きるか」は、最初にデパートの屋上で、主人公のコペル君と博識なおじさんが、地上を見下ろしているところから始まる。

そこで、眼下に広がる建物の一つ一つに人間がいて、車の中に人間がいて、自転車に乗っている人間がいて、歩いている人間がいる。

鳥瞰してみると、「人間といういうのは、一人一人、広いこの世の中の一分子なのだ」という事をコペル君が発見する。

 

そして、その後、ニュートンの逸話をおじさんから聞いたコペル君は、人間分子について、さらに思考を深めていく。

そうすると、それぞれの分子、つまり人間は、数え切れないほどつながりを持っている事に気付くのだ。

例えば、目の前に缶コーヒーがあるとして、缶コーヒーを手に取るまでには、コーヒー豆を栽培している人がいて、収穫して分別する人がいて、乾燥させる人がいて、包装する人がいて、運搬する人がいて、豆を挽く人がいて、抽出して缶に入れる人がいて、またそれを運ぶ人がいて、自動販売機に入れる人がいて、(そもそも自動販売機を作る人がいて)そして自分の手元に届く。

 

ここには、幾千、幾万もの人間分子が作用し合っている。

つまり、僕らは人間分子は、知る・知らざるに関わらず、多くの数え切れない分子同士が相互に作用して、生きているのだと気付くのである。

 

そして、人間関係に目を向けると、貧乏と英雄という、世間的に見れば180°評価の異なる人物との関わりが描かれている。

 

まず、コペル君は、クラスメイトの浦川君という貧乏な家庭の子が、クラスでいじめにあいながらも、家族のために尽力をしているという光景を目の当たりにする。

そんな話をおじさんに伝えてみると、おじさんはこんな質問をする。

 

「家と家の比較でなく、浦川君その人と君たちとでは、どんな違いがあるだろう」

 

裕福・貧乏という、家庭の状況を度外視し、一個人として比較した時、どんな違いがあるのか?

分子の一つ一つとして見た時に、裕福だ貧乏だと言った、ステータスはなんら意味は持たず、ただお互いにそれぞれの役割を果たし、そして、相互に作用しているのだ。

 

ここでおじさんが言いたかったことは、世間一般の価値観に左右されることなく、物事の本質を見つめなさいということだと僕は思う。

 

それを裏付けるかのように、続いて英雄の話が出てくる。

ナポレオンという稀代の英雄に、大きな刺激を受けたコペル君であったが、おじさんはこんな話が飛び出してくる。

 

書物にもなんにも書かれていない数万年の歴史があるんだ。そして、これからも、何万年続くか、何十万年続くか、人類はまだまだ進歩の歴史を続けて行くだろう。

この悠々と流れゆく、大きな、大きな流れを考えてみたまえ。

そのはるかな流れの中に、偉人とか英雄とか呼ばれている人々を眺め直してみたなら、君はどんな事に気がつくだろうか。

第一に君は、今まで君の目に大きく映っていた偉人や英雄も、結局、この大きな流れの中に漂っている一つの水玉に過ぎないことに気がつくだろう。

次いで、この流れにしっかりと結びついていない限り、どんな非凡な人のしたことでも、非常に儚いものだということを知るに相違ない。

 

つまり、英雄であったとしても、時代の流れと逆行しているのであれば、それは非常に儚いものだということであり、このことは前述のとおり、「世間一般の価値観に左右されることなく、本質を見つめる」という事に他ならない。

 

ただし、一方でナポレオンから学ぶこともあると、おじさんは言う。

それは、こんなことだ。

 

どんな困難な立場にたっても微塵も弱音を吐かず、どんな苦しい運命に出会っても挫けなかった、その毅然たる精神には、僕たちは深く深く学ばなければならない。

君も大人になってゆくと、良い心がけを持っていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかと言うことを、おいおいに知ってくるだろう。

世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。

 

つまり、自分の信じた道を歩むためには、様々な困難が待ち受ける。

そんな困難にも打ち克つ精神(英雄的精神)がなければ、人生は空しいものだと言うのである。

 

そして、物語は佳境へと入っていく。

 

英雄的精神の大切さを学んだコペル君であったが、目の前で友達が暴力が振るわれているのを目の当たりにしても、怖くて体が動かず、ただの傍観者になることしかできなかったのだ。

そんなコペル君は、自分の不甲斐なさから体調を崩し、学校を休んでしまう。

そんな時におじさんは、こんなことを言った。

 

なぜ、男らしく自分のした事に対して、どこまでも責任を負おうとしないんだい。

どんなにつらいことでも、自分のした事から生じた結果なら、男らしく耐え忍ぶ覚悟をしなくっちゃいけないんだよ。

過去のことは、もう何としても動かすことはできない。

それよりか、現在のことを考えるんだ。

いま、君としてしなければならないことを、男らしくやってゆくんだ。 

 

つまり、こんな時でも、いや、こんな時だからこそ、序盤で伝えたように、自分自身の感情と向き合うべきだと言うこと。

自分自身の感情から目を背けないと言うこと。

 

そして今度は、コペル君のお母さんも、こんなことを言います。

お母さんは、過去に、重い荷物を抱えて、一歩ずつ石段を登るおばあさんに手を貸す勇気がなかったことを後悔していました。

そんなお母さんの言葉。

 

 あの石段の思い出がなかったら、お母さんは、自分の心の良いものや綺麗なものを、今ほども生かしてくることができなかったでしょう。

人間の一生のうちに出会う一つ一つの出来事が、みんな一回限りのもので、二度と繰り返すことはないのだと言うことも、、、

だから、その時、その時に、自分の中の綺麗な心をしっかりと生かしていかなればいけないのだということも、あの思い出がなかったら、ずっとあとまで、気がつかないでしまったかもしれないんです。

(中略)

そのことだけを考えれば、そりゃあ取り返しがつかないけれど、その後悔のおかげで、人間として肝心なことを、心に染み通るようにして知れば、その経験は無駄じゃあないんです。

それから後の生活が、そのおかげで、前よりもずっとしっかりした、深みのあるものになるんです。

 

これも、おじさんと同じように、自分自身の感情から目を背けず向き合うことで、人間として成長して、深みが出てくるということ。

 

最後に、仏像の話が出てきます。

今の日本にある仏像は、まずはギリシャの彫刻のような西洋人の顔をしていた。

それ後、様々な文化からの影響を受けて、今日のような仏像になったいう話。

 

これは、つまり、様々な出来事・人間関係を通して、自分が作り上げられていく、という比喩に他ならないと僕は思う。

 

まとめます。

  • 僕ら人間は、分子のようなもので、目に見えない「関係性」でつながりあっている。
  • 人間同士がかかわり合う時、そこには様々な世間一般で言われる価値観がつきまとう。
  • しかし、そんな価値観を度外視して、人間の本質を見ることが大切。
  • そのようにして、様々な人間と関わっていく中で、自分の中で喜怒哀楽、さまざまな感情が去来する。
  • 時には、目を背けたくなるような感情もあるが、全て自分の責任として、その感情一つ一つに向かい合ってみる。
  • そうすることで、人間に深みが出てくる。
  • そして、多くの関係性(多種多様な人間とのかかわり合い)の通して、人間が作り上げられてゆくのだ。

 

と、いうことです。

これを受けて僕は、人と人との関係を大切にしていくこと。

そして、その中で、自分の中に去来する感情に目を向けて、自分を深めていくこと。

 

という点を意識して、これからも、日々人間を深めていきたい。